【禅】スピリチュアルのススメ【仏教】
皆さんは占いや宗教、スピリチュアルな話しを聞いてどう感じますか?
胡散臭いとか効果はないとか心の持ちようだろ?とかいろいろ否定的なアクションになりがちですよね?
それは、それ自体が持つイメージによってそう思わされてる所が少なからずあるとは思うんですよ。
僕も実際そういうモノは否定する側の人間だったのですが、実際試してみるとなんと心の持ちようが変わってくるのです(笑)
何が起こっても揺るがない鋼のメンタルやこれが俺の天から授かった使命だと思うことと出逢った人ならそういったものはなんの影響も受けないかもしれませんが、僕は物凄くそういうスピリチュアルな事を気にかける様になりました。
読み物として読むだけ、ちょっと体験してみるだけでも面白いものが多いので、食わず嫌いをやめて騙されたと思って一度やってみましょう!
仏教の真髄
仏教とは他の宗教と違い、神からのお告げといったものではなく、実際に今生きているヒトが苦しみから開放されて幸せに生きる為にはどうするべきなのかという教えを、学ぶのではなく実践する事によって悟りといったステージに登る事を目的とした宗教なのですね。
その事から、他の宗教にはこれはダメ、あれはダメっていうものが多いと思うのですが、仏教にはダメなものは基本的にはないとされているようです。
ただ、目的を見失わずに物事を行う為に結果的にダメだよねっていうものがこれだよっていう教えの方法なので、その教えに自分で気付く事が出来るんですね。
だから僕は、実感を持って悟りへ向かって成長できる宗教が仏教なのだと思います。
それでは、仏教の教えの中でオススメのものをここで伝えていきたいと思います。
八正道の実践
八正道とは涅槃(苦しみのない世界)に至るために行う、実践的な日々の習慣の事です。
八つの行いから成り立っており、それが
- 正見
- 正思惟
- 正語
- 正業
- 正命
- 正精進
- 正念
- 正定
この八つの行いの事です。
まず正見とは、「正しい物の見方」で物事を見る事です。
偏った見方をせず、先入観や偏見を持たずその事に興味を持ってその物を見るという事が大事だと言う事ですね。
人生は一期一会、その瞬間は唯一無二の瞬間です。
その時出逢ったものは明日には別の物に変わっている可能性があるのです。
1つ1つの出逢い、別れを大切にしてより良い明日へ繋げて行きましょう。
朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり
私達はいつどんな縁で、無常の風に誘われ死なねばならぬか分かりません。
今この瞬間を大切にしていくことですね。
正思惟とは、正しい考え方を持つということです。
仏教における正しい考えとは、自己中心的な思想ではなく、この世の真理と照らし合わせて考える事です。
もちろん幸せに生きたいと考えるのですが、自分が幸せに生きる為に、他の幸せを考える必要があるという事ですね。
人と人、心と心がつながったときの喜びこそが人間にとっての最高の幸せ。
自分が置かれている環境、与えられているご縁、また、悩みや苦しみを含むあらゆる出来事には意味がある。
すべてを受け止め、すべてに感謝して生きることが、幸せへのいちばんの近道である。 大阿闍梨 塩沼亮潤
正語とは正しい言葉を相手に伝える事です。
- 妄語(相手を騙す言葉、自分を偽る言葉)
- 両舌(自分本位の二枚舌)
- 悪口(相手を悪く傷つける言葉)
- 綺語(事実とは違いものを、綺麗に飾り立てる言葉)
これらの言葉を使わない事はもちろんなのですが、正しい事を伝える時も相手の心を慮り、場合に即して伝える事も大切な事なのです。
正業とは、正しい行いをする事を意味します。
無意味に殺生をしたり、誰かをいじめたりしないと言う事ですね。
人としてしてはいけない事はしないという事です。
正命とは、規則正しい生活を心掛け、体の喜ぶ物を食べ、喜ぶ事をするという事ですね。
正精進とは、間違った精進を重ねるのではなく、正しいゴールを設定する事、正しい道筋を考える事を怠らず行いましょうと言う事ですね。
正念とは正しい意志、信念を持つ事です。
この世の変えられない真理に刃向かって生きていくのではなく、起きた事を
- 受け入れ
- 認め
- 許し
- 愛する
この4つの過程を踏むことで心が肯定され、楽になります。
これを「まなゆい(愛結)」といいます。
諸行無常な世の中に生まれた事は変えられません。
自分の手札が悪いと感じる事があったとしても嘆くのではなく愛結をして自分の刀を磨いてあげましょう。
そして最後の正定というのが、正しい禅を行う事を意味します。
それは、人それぞれの方法で
- 無常
- 無我
- 無心
の精神へと入ってゆくことです。
それは、坐る事で入っていく人もいれば、歩く事で入っていく人もいます。
その人にあった正定のカタチを探し出し、無の境地を獲得する事で、過度の感情に振り回されることなく適切な選択をする事ができる様になるのです。
竜馬が十五歳のころ、当時若侍の間ではやっていた座禅を軽視し、---座るより歩けばよいではないか。とひそかに考えた。禅寺に行って、半刻、一刻の座禅をするよりも、むしろそのつもりになって歩けばよい、いつ、頭上から岩石が降ってきても、平然と死ねる工夫をしながら、ひたすらにそのつもりで歩く。岩石を避けず、受け止めず、頭上に来れば平然と迎え、無に帰することが出来る工夫である。
最後に
長くなってしまったので、他のテーマに関しては次回にする事にします。
とにかく、正しいとされる行いを信念を持って行う習慣を培うという事ですね。
それには目的を持ってとにかく物事に没頭する事だと思います。
無我夢中に何かをする事が結果八正道を行い、あなたを涅槃寂静の地へ導いてくれるのでしょう。